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瀬戸内の食文化をめぐるレポート vol.11 大分 前編(ひろげる)

かつては、西日本の交易の中心だった瀬戸内。そんな瀬戸内エリアには、新たな食にまつわる活動や動きが生まれつつある。今回の取材では、瀬戸内の各県を巡り、「つくる人」「ひろげる人」という視点から、各地のプレイヤーの取組みを発信し、食文化を発展させていくヒントやきっかけを見つけ、ネットワークを構築していく。

今回は大分県のプレイヤーに会いにいく。徳島県美馬市で建築設計の仕事を営む高橋さん、そして兵庫県神戸市でカメラマンをしている岩本さんと合流し、神戸からフェリーに乗り大分へ向かう。

 

音楽やバンドでやってきたことを、しいたけにつぎ込む

大分港から車で15分。湯けむりが上がる別府の町の一角にある、しいたけのお店に辿り着いた。

「祖父の代からしいたけの市場を始めました。小さいときは、周りの人に言われて、なんとなくしいたけ屋をやるんだろうなとは思っていました。でも中学高校ぐらいになると全然テンションは上がってなかったです。しいたけ屋の人だって言われることは、こっぱずかしいというか。」

別府市で、しいたけの生産、市場、店舗を営むのは、株式会社やまよしの河内由揮さんだ。今回はひろげる人としてお話を伺う。しいたけは、九州にあるクヌギの幹の太さや皮の厚みが栽培に適しており、クヌギを伐採するのと同時に原木しいたけを作るという作業が行われてきたそうだ。やまよしでは、自社でのしいたけ栽培、別府市で唯一のしいたけ専門市場、そして販売店舗を構えることで、しいたけに関する様々な取り組みを行っている。河内さんは、そんな家業のしいたけ屋に帰ってくるつもりはなく、東京でバンドに明け暮れていた。

「大分出身のメンバーで、10年ぐらい東京でバンドをしていました。ある日親父から、「帰ってこないか?」という話があって。それがもう6年ほど前でしょうか。不思議とテンションが上がったんですね。新しい何かを始める瞬間の爆発みたいなものでしょうか。」

中学高校では上がってなかったしいたけ屋に対するテンションが、30代に入るとなぜか上がった。これまで音楽やバンドでやってきたものやひらめきを、全部しいたけにつぎ込むと決めた。

 

しいたけの存在を、身近なものにするために


河内さんは、若い世代にも手に取ってもらえるように、パッケージの変更から取り組んだ。お店に並ぶ商品は、お土産として渡したくなるようなデザインになっていて、選ぶのが楽しい。見せ方を変えることで少しずつ手応えが出てきた中、次に取り組んだのが店舗のリニューアルだ。

「とにかく、しいたけをもっと身近にしたいよねと親父とも話しています。パッケージが若い世代に届くものになったとしても、やっぱり袋に入っていると味が分かりません。味を少しでも瞬間的に感じてもらえるように、出汁をその場で飲めたりとか、簡単なしいたけ料理が食べれたりできるように設計し直しました。」

干ししいたけは、食べてもらうまでに距離があると話す河内さん。干ししいたけは、冷水に8時間前後浸けて戻すと一番美味しいとのことだが、生活のあり方が大きく変わった現代において、そのひと手間が干ししいたけを遠ざけてしまっている。そうした状況から考えた次の一手が加工だ。

「奥豊後豚と玉ねぎを使って、椎豚丼という冷凍食品を作りました。細々と始めたのですが、先日新聞の記事になったら爆発的に売れました。最近はしいたけが苦手な人にどうにかして届けるより、好きな人に刺さるように意識しています。あと、しいたけを使ったソフトクリームを店舗で出しているんですけど、高校生が学校帰りに買ってるのを見て、ちょっと感動してしまいましたね。」

河内さんのアイデアや行動が、これまでの歴史や下地を土台に、少しずつ広がってきている。

 

山の風景を見て、こら守らないけんなぁ


今後、どんなことに取り組んでみたいか尋ねてみた。

「しいたけ業界にも、高齢化が進んでいたり、価格が大分落ちてしまったりという課題がたくさんあります。僕はもう単純に、しいたけは本当に美味しいので、食べる文化が長く続くように生産者さんを守っていきたい。みんなの目に留まる存在にまた返り咲きたいですね。」

河内さんは、これまでの音楽やバンド経験を活かし、取材場所の倉庫を使って、軽トラをステージにアコースティックライブを行ったりしているそうだ。今後、そういったイベントで提供される料理が全部しいたけっていうのも面白いですよねと笑う河内さん。カルチャーの発信源があって、裾野が少しずつ広がっていく。まさに音楽で培ったDIY精神がここでも発揮されていきそうだ。最後に、河内さんは『食文化』という言葉をどう捉えますか?

「食文化自体はなくてはならないものだと思っています。家業を継いで思ったのが、守らなきゃいけないものという感覚です。うちの親父がしいたけの原木を伏せている景色があって。山に伏せて毛虫みたいになって繋がってる光景を見て、こら守らないけんなぁって思ったのが、僕の食文化に対する一番大きいところですね。」

日本の食卓になくてはならないもの。その大切な食材の裏にある背景を心に留めつつも、しいたけの魅力を伸びやかに伝えていく河内さんの活動に、これからも様々な形で仲間が増えていくのだろう。

 

●おまけコラム「大分県の郷土料理」

今回の取材は、「各県の郷土料理を食べる」というテーマをいただいている。今回は、とり天をいただくことにした。大分県で6県目となる今回の取材だが、初めての揚げ物となった。

今回いただいたとり天は、通常の唐揚げのように丸みを帯びているのではなく、薄く伸ばした鶏肉を揚げたようになっていて、口当たりもよくとても食べやすいものであった。とり天は、かつて鶏肉が高級だった時代に、各家庭で衣を厚めにして満腹感が得られるように作られていたそうだ。そうした背景を知ると、様々な食卓の風景が目に浮かんでくるようで、その先に今自分たちの暮らしがあるのだとじんわりしてしまう。そうした暖かい感情に包まれて最後の一つを拝借しようとしたが、コンマ数秒の出遅れにより他者の胃袋に消えた。こうした小さいエピソードに囲まれているのが郷土料理なのかもしれない。

 

後編に続く。

 

 

記事では書ききれなかったことなど、取材時の様子を動画で公開しています。

より詳しくご覧になりたい方はこちらから。

文:鶴巻耕介

写真:岩本順平