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農工民族宣言 〜お好み焼きから考えてみる〜

神戸出身の建築家、家成俊勝さんは今、スーパーマーケットに商品が届くまでの世界にこそ目を向けなければいけないと言います。食に対する想像力が働かなくなってしまっているのだと。
その想像のための例題として、家成さんが持ち出したのはお好み焼き! その話の行く先は…。


私たちが普段食べているものをどれだけ知っているでしょうか。実はそんなに分かっていません。
ここでは、関西人なら誰もが食べたことがあると思われるお好み焼きを例にとって考えたいと思います。お好み焼きの素材や調理方法は分かります。しかし、お好み焼きはどうやって私たちの手元に届くのでしょうか。お好み焼きをUberEatsなどのデリバリーで頼んだ場合、お店でつくられたものを配達員が届けてくれます。あるいは、自分でつくろうと思うと、材料をスーパーマーケットや市場、ECサイトで購入することができますが、そこまでしか分かりません。スーパーマーケットに届く前の世界まで想像する必要があると思います。

スーパーマーケットは、商品を買いやすく、また購買意欲を高めるために人に合わせた寸法でできています。棚の上には「魚」や「肉」「カップ麺」といった看板が吊られ遠くからでも視認性が確保されています。実際に棚を訪れると、その品目のたくさんの商品を手に取って選ぶことができます。レジの無人化も進んでいます。
そういった状況と対をなすように、スーパーマーケット以前の世界は人のためではなく、物の寸法が支配する世界になります。今、この瞬間も、海洋を行き交うコンテナ船、巨大コンテナターミナル、巨大物流倉庫、張り巡らされた高速道路や鉄道網を、バーコードや識別番号が付されたコンテナからAmazonの小さな段ボール箱まで無数の箱が移動しています。
電気は送電線を伝わり、水道管には水が流れ、パイプラインには石油やガス燃料が流れています。その張り巡らされたシステムの網目の中で私たちは暮らしています。私たちの暮らしはこういったインフラによって成り立っているわけですが、同時に物と人の関係性が見えなくなっています。

お好み焼きの小麦を例に取って考えます。
小麦はバルカーという巨大船でアメリカからたくさん輸入されています。小麦は中国でも多く生産されていますが、中国は人口が多く胃袋がたくさんあるので小麦を自国で消費してしまいます。だから小麦は中国から入ってきません。小麦をアメリカから輸入する理由の一つに、安全保障の話が絡んでいて、「G to G」つまり、政府間の取り決めによってアメリカから小麦を買い取ることになっています。私が小学校の時、給食はほとんどパンでした。日本の昼食というと米のはずが、日本中の子どもがパンを食べていました。これはアメリカが、日本の子どもにパンを食べるという行為を刷り込んでいたわけです。米より小麦ですよ、と。アメリカは日本に巨大な小麦のマーケットをつくり出したのです。いわゆるメリケン粉。ァメリケンの粉です。何も疑わずパンを食べていたのですが、お好み焼きの小麦粉のお話が急に国策の話に繋がっていきます。
アメリカの小麦の生産地で有名なのはカンザス州ですが、そこをGoogleマップで見るとすごい風景が広がっています。正円でできた畑。効率良く、水や農薬を散布することができます。一人で10万ヘクタールの農地を管理していると聞きましたが、10万ヘクタールは大阪府の約半分の大きさにあたります。もはや一人で管理するということが想像できない大きさです。雇われている労働者は音楽を聴きながら農業マシーンに乗っているだけで、全部コンピューターで管理して栽培しています。コスト優先の非持続的農業によって地下水はふんだんに汲み上げられて枯渇しようとしています。そのほか油をつくる大豆や、鶏や豚の飼料になるトウモロコシも似たような状況です。世界ではアフリカやアジアを中心に人口が増加しており、農地争奪戦が繰り広げられ、人知れず森が開墾されています。
お好み焼きの基本的な材料一つ取ってみても、スーパーマーケット以前にはすごい状況が広がっているわけです。キャベツやネギは鮮度が大切なので国内で生産されますが、これらも農業基本法や農業構造改善事業などの国策によって出来上がった風景です。
何度も言いますが、現在の私たちは、材料がどこでどのようにつくられているか分かっていないことがとても多い。大量に食料を消費する都市部とその食材を大量に生産する後背地が密接に結びつき、都市が惑星化していると言われる現在、私たちは再度、生産現場を知る必要があります。私たちはどこでつくられて、どのように運ばれたものを、どのように食べているのか。

私の生まれ故郷である神戸市は、都市と農地がとても近い距離にあります。「消費する都市」と「生産する後背地」といったように二つに分けず、お互いの場所にお互いの要素を持ち込むことで、私たちの普段の暮らしへの理解が深まるとともに、これからの新しい状況をつくっていく可能性があると思います。
私は現在、大阪市の北加賀屋という場所にあった家具工場跡をスタジオにして設計事務所をしています。しかし都市の中だけで何かを思考し、つくり続けることの限界を感じています。そこで農地のある中山間地域にもう一つスタジオを構えようと考えています。今まで長く産業に明け渡してきたつくる現場を取り戻すべく、「工場(こうば)」と「農場(のうば)」をブリッジすることで、私たちの暮らしを様々な角度から見直したいからです。「農工民族」を目指して、少し実験をしていきたいと思っています。


 

家成俊勝|dot architects

1974年兵庫県生まれ。2004年、赤代武志とdot architectsを共同設立。京都芸術大学教授。アート、メディア、建築、地域研究、NPOなどが集まるコーポ北加賀屋を拠点に活動。

http://dotarchitects.jp/