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がんばらない下町屋上菜園

屋上菜園を始めて丸10年になる。子どもが産まれて、当時住んでいた賃貸が手狭になったため家族で暮らせる家を探した。条件は、神戸市内で小さな畑ができる庭があること。北区や西区の物件を探し回った。そんなときに出会ったのが、いまの家だ。屋上付の狭小3階建て。市場が近く、幅広い世代が住む下町。庭はない。でも屋上があるなら畑ができるかもしれない。夫婦ともに仕事場が近いということも決め手になった。

だけど、現実はそんなに甘くなかった。約11㎡の屋上いっぱいに土を積んで畑にするつもりだったが、水を含むと重くなる土を積めるほどの耐荷重はなく、水道すら設置されていなかった。そもそも屋上で植物を育てることは想定されていなかったのだ。

ひとまず、畳半畳ほどの大きさで深さ40cmのものを2つ、畳一畳くらいで深さ20cmのものを1つ、丈夫な足場板古材をつかった組み立て式のコンテナを取り寄せた。水は外にある水道から屋上までホースを伸ばすことで解決した。

ホームセンターで大量の有機培養土を購入し、せっせと屋上まで土を運ぶ。これが大変で、「何の訓練?」と自問しながら4階にある屋上までの階段を何往復もした。いまも植え替え時期のこの作業がなかなかの苦痛だ。

それ以外にもハードルがあった。屋上は四方を壁で囲まれているため、太陽が低い位置にある早朝は陽が当たらない。さらに、山が近いせいで冬には強風が吹き、地上より3~5気温が低い。夏はさほど影響はないが、冬野菜は成長が遅い。

それでも、野菜はぐんぐん育った。春はスナップエンドウやウスイエンドウ。6月頃にタマネギ、ジャガイモを収穫して、夏は中玉トマト、ピーマン、キュウリ、ゴーヤ、バジル。秋はサツマイモ、冬はダイコン、ブロッコリー、芽キャベツ、春菊、小松菜。こんな小さなスペースでも驚くほど収穫できる。食べきれないほどたくさん採れたときは、料理方法や保存方法を調べた。アスパラガスが頭を出すと春が来たことを実感する。イチゴは、どんどんシュートを伸ばして隣の鉢まで浸食するほどたくましい。収穫期を逃してトウが立ったダイコンやニンジンの花を愛でるのも悪くない。野菜を育てることで旬を知った。

一方でうまく育てられない野菜もある。毎年実が大きくならないのは茄子。水と栄養が足りていないらしい。ミニカボチャも2年目までは成功したが、それ以降はうまく実がつかない。1年目に失敗したトウモロコシは育てることを断念した。

「野菜づくりは土づくり」という。酸性度を測って野菜にとってベストな環境をつくるべきなのは分かっているが、いまのところはカンに頼って適当に有機肥料や石灰を入れる。種や苗は、大きく時期を外さなければ育つことがわかったので、できるときに植える。だからこの秋、遅い時期に植えたブロッコリーやダイコンはまだ小さい。春が来る前に食べられるサイズに育てばそれでいい。

私の屋上菜園はがんばらない。何かと忙しい日々のなかで、マイペースに楽しむのが基本だ。洗濯ものを干すついでに水やりしたり、手入れしたり、収穫したりと、短時間で世話ができるくらいがちょうどいい。

ただ、もしかしたらいつか屋上が抜け落ちるかもしれない、という不安だけがつきまとう。

 


 

西島陽子

1973年生まれ。大阪府出身、神戸市兵庫区在住。縁あって2005年、生誕100周年を迎えた新開地の広報PRに就任。まちの情報発信や、企画ディレクションを担当。ガイドを務めた女性限定「ザ・シンカイチツアー」はまちの名物に。現在はフリーランスとして新開地やマルシン市場などのPRに携わるほか、兵庫区で「ひょうご観光ボランティア」事務局を担当。湊川隧道部副部長。
両親は熊本出身。農業を営む親戚が多く、毎年初夏になると大量のスイカが送られてきた。小学生のころ、冬休みには熊本に帰って叔父のしめ縄売りを手伝っていたのはいい思い出。
http://machi-pr.com/

文:西島 陽子

写真:西島 陽子