瀬戸内の食文化をめぐるレポート vol.2 徳島 後編(ひろげる)
瀬戸内各県で生まれ始めている、新たな食にまつわる活動や動きを展開している方々を訪ねていくレポート。今回は徳島県の後編です。
(前編はこちら)
私にとって、地元でできることはなんだろう
美馬町から、山中を走り向かったのは、地方創生や地域活性という文脈において誰もがその名を知る神山町。続いて、この地で農や食を子どもたちや地域につなぎ、ひろげていく人にお会いした。
「徳島県出身です。前職は神奈川県で教員として働いていたのですが、徳島に戻りたくて。そんな時に、神山町で新しい動きが始まると聞き、食にも関心があったので、フードハブ・プロジェクトに携わることにしました。」
今回お話を伺うのは、一つ一つ言葉を紡ぎながらお話される姿が印象的な樋口明日香さん。フードハブ・プロジェクトとは、食の地域内循環を高め、神山町の農業と食文化を次の世代につないでいくことを目的としている農業の会社。樋口さんは、まだお店が立ち上がる前の2016年から参画し、自分のできることを模索していた。時を同じく、神山町の創生戦略を役場と協働的に進めていく神山つなぐ公社も設立され、そこで今も活動を続ける森山円香さんたちと出会い、様々な活動が展開されていく。
「社内で、食育はやろうというのは決まっていました。地元の高校との連携を森山さんたちが進めている中、高校生のお弁当づくりプロジェクトから活動がスタートしました。組織という枠を超え、森山さんとは今もずっと一緒に走っている感じです。」
森山さんたちが保小中高連携を目的に教育委員会と企画した『先生みんなでごはん』『先生スタディツアー』は、フードハブの活動や食育について、先生方との相互理解を深めていくきっかけになった。そこから、高校だけでなく、保育所から小、中、高と食育をテーマにした活動がスタートし、3年目から役場の予算もつくようになった。
子どもたちに蓄積されてきたものを、止めるわけにはいかない
走り続けて、あっという間に5 年という月日が流れる。
「フードハブ・プロジェクトという法人の一職員として注力する中で、5 年間を振り返る機会があり、食育をどういう形で続けていくのかっていう壁にぶつかりました。やめることももちろんできるし、続けていくとしても、どういう続け方があるのか。とにかく悩みましたね。」
フードハブ・プロジェクトも株式会社であり営利企業。利益の上げにくい食育の分野に人数を増やすことは難しい。一方樋口さんは、1 人でこれを進めていくのではなく、仲間を増やしていく必要があるという思いがあり、よい落としどころが見つからない。私ではなく、別の誰かに引き継いでもいいのではないか。そんな風にさえ思っていた時に、ある子どもからの一言が樋口さんの進む道を照らす。
「ある中学生が、風景の見え方が変わったっていう話をしてくれて。もち米栽培(田植え・収穫・調理・実食)を通して、今まで素通りしていた景色が目に入ってくるようになったと。それを聞いたときに、体験してきたことが子どもたちの中に蓄積しているんだとか、辞めてしまうとこうした場がなくなってしまうんだなと思って。続ける方法をちゃんと考えようって。」
続けてきたことには意味がある。ここで辞めるわけにはいかない。覚悟が次のステップを生み出していく。
体験ベースの『食農教育』
現在は、2022 年春に設立予定のNPO 法人の設立準備に奔走する。
「NPO として法人を作ろうと決めました。森山さんに相談したら「いいっすね!」と言ってくれたし(笑)。設立に向けたミーティングの中で『食農教育』という言葉に出合い、私たちがやってきたことは「食育」というより「食農教育」だなと思えたことも大きかった。フードハブから独立することで、存在が分かりやすくなったというのはあります。行政関係の方をはじめとして、これまで届いていなかった方々が関心を寄せてくださったり。広がっていく感覚がありますね。」
樋口さんは、設立に向けて十分な期間を取って、様々な立場の人の意見を聞き、勉強会を開き、やるべきことを固めてきた。保護者にとって、学校や先生にとって、地域にとって、そして子どもたちにとって何が求められているのか、丁寧に議論を進めている。そういえば、ふと現れた『食農』というキーワード。食農と食育はどう違うのだろうか。
「食育って、周囲の大人に聞いてみると少し固いイメージがあって。食べ方指導とか、正しさを伝えるような。それはとても大事なことだけど、栄養学や食べる知識がなぜ必要なのか。そこに子どもたちのアンテナが立っていないと、主体的に取り組んでいけるものにはならない気がします。個々の身体感覚を通して、五感で味わうおいしさ(や、不味さ)が入口だと、一気に楽しい学びになりますよね。自分で手を動かして受け取ったものを自分の中にちゃんと蓄えていくっていう、それが食農教育のイメージですね。」
より現場に、より手先の感覚や五感に。パソコンの前に座る教育や学びが増えれば増えるほど、これらの学びもより重要性を増してくるのではないだろうか。最後に、樋口さんは『食文化』という言葉をどう捉えますか?
「食べ物って、なんだか幸せじゃないですか。食べ物をつくる場所と、食べる場所と、見守ってくれる人がいると、子どもたちはもう自然といい顔になっていくし、よく育っていくなぁと思います。そうした文化や環境をどうやってつくっていくか、続けていくか。NPO として、私たちも考えていきたいです。」
まずは神山町から。そしていつか神山町も飛び出して、様々な地域でも広がっていくのだろうというエネルギーがひしひしと。新たな仲間を得た樋口さんや森山さんたちの活動にこれからも注目したい。
●取材を終えて
最初の県ということで、少し緊張していた中、暖かく迎えていただいてほっとしたというのが正直な気持ちである。つくる側である足立さん夫妻も、ひろげる側である樋口さんや森山さんも、共通していることは、『次世代にできること』を形にしていっていることではないだろうか。今自分たちがここにいるのは、過去の積み重ねがあるから。それを次世代に、よりよい形で繋いでいくこと。それを意識することが、豊かな食生活や地域のあり方の素地になるのではないか。そんなことを教えていただいた時間だった。
記事では書ききれなかったことなど、取材時の様子を動画で公開しています。
より詳しくご覧になりたい方はこちらから。
文:鶴巻耕介
写真:岩本順平