ナスを切ること
I LOVE 野菜 03
ナスを切ること
書き手 : 中川恵理子(KAVC美術事業アシスタント)
食べることはあまり得意じゃない。食べている最中、「ご飯美味しいと思ったことある?」と尋ねられるくらい、多分つまらない顔をして食べている。そもそも私は昔から食が細い。一人前を食べきるのが精一杯で、食べるスピードも遅い。人に合わせて頑張って食べると、お腹が痛くなってしまう。残してしまうのも嫌だけど、頑張って食べたらお腹が痛くなるかもしれなくて怖い。
神戸での仕事を機に、駅近のワンルームで一人暮らしを始めた。最初の頃は、忙しない日々の中で、まな板を置くスペースもないキッチンを見ながら、食べるものを考えること自体が億劫だった。何も食べない日や、同じものを食べ続ける日が何度もあった。辛かった。私は食べることが好きじゃないな。と毎日思っていた。
そんな生活も長くは持たず、そのうち友人とシェアハウスをすることになった。駅から徒歩25分の坂の上にある、海が見える、台所の広い家に引っ越した。
広い台所で料理ができるようになってからは、ナスを常備し、切ってはいろんな料理にいれて食べた。
「趣味はなんですか?」と尋ねられ、「ナスを切ることです」と言ったのは、自分でもなぜかよくわからない。趣味と言えるほどのことでもないし、”食べ物を切る”という触感でいえば、エリンギやマッシュルームでも良い。とっさにナスが出てきたのは、ナスを切るときに、ずっと一緒に住んでいたおばあちゃんを思い出すからなのかもしれない。
おばあちゃんは毎年どこからか鈴虫をもらってきて、家で育てていた。私はえさをやる様子をいつも隣で見ていたのだが、ある時おばあちゃんが「あんたもやるか?」と言って、ナスを切らせてくれた。輪切りにして串に刺す。その感覚がたまらなかった。鈴虫はうるさいし気持ち悪かったけれど、鈴虫の食べたボコボコのナスをみて、「ナスって美味しいんやな」と思った記憶がある。
まな板を置ける気持ちいい台所では、自由に料理ができるようになった。もしかしたら食べることも好きかもしれないとすら思うようになった。
今の私の食生活は、鈴虫のえさのためにナスを切ったような「やってみたい」で作る料理に支えられている。おばあちゃんが昔にやっていたように、でっかい樽の中に入ったぬかに深く手をつっこんでかき回してみたいし、初夏になったらふわふわの梅の実を撫でて、いい匂いだなと思いながらヘタを取りたい。
たくさんのご飯を、美味しそうに食べることは私にはできない。でも、駅近のワンルームが合わなかったように、鈴虫の鳴き声は家の中から聞こえるものだと思い込んでいたように、食のあり方も人それぞれなんだと思うようになった。私はいつから他人に合わせた食事でお腹を痛めていたのだろう。そんなことを、ナスを切るたびに思い出す。
中川恵理子
京都生まれ。神戸在住。神戸アートビレッジセンターで美術事業アシスタントとして仕事中。最近は、近所のうどん屋で衝撃の出会いを果たした茎ブロッコリーと、八百屋で再会したいと目を光らせている。