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瀬戸内の食文化をめぐるレポート vol.18 広島 後編(つくる)

瀬戸内各県で生まれ始めている、新たな食にまつわる活動や動きを展開している方々を訪ねていくレポート。今回は広島県の後編です。

 

(前編はこちら

 

サッカーを辞めて、農業の道へ


三原市から尾道へ戻り、しまなみ海道を走る。2つの島を越え、辿り着いたのは生口島。島中に植えられている果樹を眺めていると、瀬戸内にいることを実感する。

「生まれは広島市内です。大阪に行ってサッカーして、滋賀に行ってサッカーして。ずーっとサッカーをしてましたね。引退して将来のことを考えた時に、興味を持ったのが農業でした。」

地域のみなさんとレモンの収穫に勤しむのは、井上農園瀬戸田農場の井上裕文さんだ。今回はつくる人としてお話を伺う。井上さんは、サッカー選手として滋賀県でプレーしていたが引退し、農業の道を志そうとした。レモンを使った調味料などを販売する会社の社長である父親に相談すると、なめとんかと一蹴される。しかし、父親の紹介で半年ほど養豚場で働くことによって決意を見せ、その後農業大学校へ通い、新規就農への道筋をつくっていった。そして広島市内に祖父の農地を借りるところから井上さんの農業がスタートしたものの、農業の厳しさを痛感することになる。

「祖父の農地は獣害がひどくて、植えても植えても猿と鹿にやられていました。どうしたものかと思っていた時に、ある話が舞い込みました。柑橘をつくるために、当時この場所に入っていた会社があったんですけど、そこが撤退するから引き継がないかと。父親が社長をしていた会社がレモンに力を入れていくという背景もあったので、こちらに移住しようと決めました。」

2014年、井上さんは農業をするために生口島に人生の拠点を移した。

 

有機栽培でも、外観品質や栄養価にこだわりたい


井上さんは、自分がしたい農業の形が明確にあるという。

「有機農業に興味を持っていました。農薬や化学合成肥料を使用しない、なるべく自然の形に沿った方法で栽培するということです。人や環境にとって、食べ物や農作物というのは、どういう方法でつくられて、どういう状態で食べられるのが一番いいのか。様々な病気が表面化してきている中で、そうした背景には農産物が影響を与えているのではないかと思いました。それが真実かどうかははっきり言って難しいところなんですけど、そうしたことを一生かけて突き詰めていきたいなと。」

そうした想いを胸に、井上さんは2.4haの果樹園を引き継いだ。当初、ほとんどが早生みかんで、レモンは全体の1/8ほどだったが、少しずつ木を植え替えながらレモンの栽培面積を増やしている。そして、有機栽培の難しさと同時に苦労したのが、売り先だ。井上さんは市場出荷をせずに個別で販路を開拓していったものの、スーパーなどに商談に赴いても、有機栽培は高いし外観も悪いし、何がいいのか分からないと相手にされないこともあったという。

「有機栽培だと、外観が悪いとか、そういうリスクはあります。ただ、有機だから外観が悪いのは仕方ないよねというのは嫌で。有機栽培でも、外観品質にちゃんと応えたいんです。レモンは果樹の中でも脇役的な存在ですが、例えばケーキに使うと香りがすごく良くなりますし、皮ごと使うことも多いので有機栽培にはこだわりたいですね。」

レモンは、比較的手をかけなくてもそれなりに育つという。しかし、その状態を有機や無農薬だと言ってそれなりの値段で売ってしまっていいのでしょうかと話す井上さん。人の手を適切に加えることで、中身や栄養価も含めて、求められているものに近づく努力を惜しまない。

 

腹の底から気持ちを言える仲間を増やしたい


今後、取り組んでいきたいことはあるのだろうか。

「やっぱり加工に挑戦したいというのがあります。ただ、有機の原料があっても、有機の認証を受けた工場で加工しないと、その商品には有機JASマークをつけることができないんです。そのため、認証を取っている工場が遠くて物流コストが上がったり、加工のやり方も自分の思うようにできなかったりする部分があります。なので、原料のレモンも作りながら、加工所を自分で設けて色々と挑戦したいなっていう思いはあります。」

いろんな人に知ってもらうことで広がっていくことも、地域に雇用をつくることもしていきたい。加工も含めて農業と捉え、そうした有機農業の一つの成功事例をつくりたいんですと話す井上さん。最後に、井上さんは『食文化』という言葉をどう捉えますか?

「食文化はその地域地域にあって、守っていかなきゃいけないっていう思いはもちろんあります。一方で、高齢化でつくり手がいなくなってきている速度に対して、新規で参入してくる人の速度は本当に追いついていなくて――。このままいくと、農産物が本当少なくなってしまいます。農家ってそれぞれが経営者で、やり方も違ったりするんですけど、協力体制といいますか、そうことができたらなぁと常々思いますね。腹の底から気持ちをちゃんと言える、率直に言い合える仲間を増やしていきたいですね。」

まずは自分が動く姿を見せることで、若い担い手を増やし、地域一体となって考えていく流れをつくり出す。下っ端なので偉そうなことは言えないですけどねと付け加えることは忘れないものの、そのまっすぐな井上さんの姿勢に、たくさんの輪が広がっていくような気がした。

 

 

 

・取材を終えて

無事、9つの県の取材を終えることができた。各県で取材する方をピックアップしてくださったみなさま、そしてお忙しい中、快く取材に応じていただいたみなさまに感謝したい。個人的に、この取材は本当に学びが多く、どうしたらこの学びを一人でも多くの人に知ってもらえるか、自分なりに懸命に文章をつくってきた。

「共通している課題は多いのではないか?」そうした取材前の仮説はやはりその通りであった。どこかのエリアが顕著にというよりは、どの場所でも等しく、高齢化や自然環境の変化による危機的状況が待ったなしとなっている。こうした時代の過渡期の中で、何かを変えることや新しい取り組みを進めようとするとき、人はその仲間を見つけるのは難しい。何かを変えたりはじめるということは、大きな労力を必要とするからだ。しかし、テクノロジーの発展により、仲間をその地域内だけで探す必要はなく、市町村や県も、そして業種も越えて繋がっていける時代になった。東を向くばかりではなく、西にも目を向け、瀬戸内という自然も食も豊かなエリアで、小さなうねりがたくさん生まれてきている。そうしたこと感じた2022年初春の旅路であった。

 

 

記事では書ききれなかったことなど、取材時の様子を動画で公開しています。

より詳しくご覧になりたい方はこちらから。

文:鶴巻耕介

写真:岩本順平